カンボジア観光1
カンボジア王宮・シルバーパゴダ
プノンペン中心部、トンサレップ川沿いにあります。
周辺の敷地から広々としており、とても清潔感があります。
現在も実際に国王家が居住し、重要な儀式も行われている場所です。
それだけに服装の規定もありますが、ガイドから事前にチェックさせていただきます。
そして11時~14時は入場することができません。
近隣にはたくさんのレストランやカフェもありますので、見学前後に食事するスケジュールもいいでしょう。
フランス人建築家によってデザインされた黄金に輝く姿は、プノンペンのシンボル。
そして隣接する王室のお寺、シルバーパゴダとセットで先ずはここへ行くことをお薦めしています。
プノンペン国立博物館
ここも定番の大人気スポット。
王宮からも直ぐ近くなので、セットで行くといいでしょう。
クメール様式の屋根、重厚な赤茶色の建物の美しさに圧倒されることでしょう。
ここでは、カンボジアの文化や芸術を一気に感じることができます。
カンボジア各地から出土した石像や芸術品、国宝級の彫刻が5,000点もあり、それらが時代の流れに沿って展示され、国の歴史の流れを分かりやすく展示されています。
神々の銅像は神秘的で、この国の歴史で欠かすことができないアンコール王朝最盛期の王、ジャヤーバルマン7世の像と出会えるのもこの博物館です。
きれいな中庭でゆっくりとくつろいで下さい。
ワットプノン
仏像を救ったペン夫人の善行
カンボジアの首都プノンペン。王宮がある中心地を廻っていると、緑々と草木が生い茂る小高い丘、きれいに整えられた芝生は大きな時計になっていて、その背後には立派な仏塔がそびえ立っています。
この姿は遠くからでも目に入り、プノンペンを象徴する場所の一つでもあります。
ここはワット・プノンというプノンペンで一番古いお寺。クメール語でワットは寺、プノンは丘、正に「丘の上のお寺」です。
その昔、この辺りにペンさんという裕福なご夫人が住んでいました。
そしてある日、ペンさんの前を洪水によって大木が流れてきます。
気になったペンさんはその大木を辿り寄せると、中には五つの仏像が入っていたのです。
ペンさんはこの仏像を手厚くこの丘に祀り、お寺としました。
この善行を称えるかのように、ここはいつしか「ペン夫人の丘(プノン)」と呼ばれるようになり、これがプノンペンという名前になったそうです。
15世紀には、アンコール王朝最後の王、ポニャー・ヤットが、仏像がまた洪水の被害に合わないようにとこの丘を更に高くしました。
この信心深い王とその一族の遺灰は、中央の仏塔に納められています。
ご利益を求めて後を絶たない参拝者
丘の上の本堂へは正面の階段で上がります。欄干は大きなナーガ(蛇神)となっていて、シンハ(獅子)と共に寺を護ります。
本堂は主に地元の人や観光客がお参りをし、その脇の奥には、中華系移民で賑わう本堂もあります。
ペンさんが救った五つの仏像のうち、四つは本堂へ、そして一つは中華系の方へ祀られたのです。
現在ある五つの仏像は複製されたもので、当時のものは王宮にあるそうです。
これは内戦時に崩壊や盗難から守ったためでしょう。
ここはご利益があることでも知られていて、王族や政府の方々も訪れ、祈りを捧げているのです。
この日は地方から来ている別のお寺のお坊さんの姿も多く見かけました。
ペン夫人がもっと美しくなるように
本堂に入ると、鮮やかな壁画の中、先ずは黄金のご本尊が目を引きます。
その周囲にも数多くの仏像。これらのうちの一つに人だかりができていて、参拝者の一人はそこの仏像に何か描いているようです。
「これが若い時のペン夫人です。ペン夫人はとてもおしゃれな方でした。そして女性ですから、いつも”もっと美しくなりたい”と願っていたのです。だから私たちはここでお祈りさせて頂く感謝の気持ちとして、ペン夫人がもっと美人になるように口紅を塗ってあげるのです」
更に奥には、お年を召した頃のペンさんが祀られる祠があり、ここは一番の人気スポット。
絶えることのない線香に加えて、お供え物のジャスミンやバナナの神秘的な香華に包まれます。
おしゃれなペンさんには、洋服も毎日取り換えてあげるそうです。
この日は水曜日だから緑色、日曜日は赤い服を着せるそうです。
たくさんのネックレスも身に付けて、ペンさんが喜んでいるのが伝わってきそうです。
お参りに来ていた母娘は二人で飲食店をやっているとのこと。
ここには最低でも年に二回は訪れるそうです。
「健康や幸せ、そして商売繁盛をお祈りに来ました。ここでお願いするとお客さんがたくさん来てくれるんですよ!」
キリング・フィールド
カンボジアの悲しい歴史の跡
カンボジアには、キリングフィールドと呼ばれる場所があります。
これは、今から40年ほど前の1975年頃、ポル・ポト政権下でおこなわれた大虐殺のための刑場跡のことです。
このキリングフィールドは、ひとつの場所を指す言葉ではありません。
カンボジアの各地に、いくつものキリングフィールドが存在しており、その数は100ヵ所以上と言われています。
そこでは想像を絶する凄惨な処刑がおこなわれ、犠牲者数は諸説ありますが、100~300万人とも言われています。
しかもたったの4年ほどの間にです。これは当時のカンボジアの全人口の1/4に匹敵します。
政権を担っていた首相のポル・ポトは、原始共産主義という自給自足の生活を理想とする思想を掲げ、それに反対する人々を処刑していきました。
それだけでなく、知識や教養は政策の邪魔と考え、少しでも知識がありそうな人を次々と虐殺していったのです。
メガネをかけているから頭が良さそうなので処刑などといった、信じられない理由で虐殺がおこなわれていたとまで言われています。
もっとも有名なキリングフィールド
キリングフィールド中でいちばん有名で最大なのは、プノンペン郊外にあるチュンエク大量虐殺センターです。
プノンペン市街地から11Kmほど南にあります。
入場料は3ドル、音声ガイドが3ドルです。日本語も対応していますので、より詳しく知るためには音声ガイドを利用したほうがいいでしょう。
処刑された人が埋められた場所は、腐敗した遺体から出たガスで、地面が盛り上がり、丘のようになっています。
いまだに雨が降ると地面から骨が出てくることがあるそうです。
キリングツリーと呼ばれる、赤ちゃんの頭を打ち付けて処刑していたという木も、そのまま残っています。
虐殺が赤ちゃんにまで及んでいたことと、その処刑方法に戦慄します。
約1万もの人骨が納められており、それを実際に目に留めることができる場所です。世界史にも大きく負の遺産ですが、この悲劇は1970年代、遠い昔の話しではありません。映画にもなった場所でもありますので、事前にこの映画を見ておくと、より思いが深まると思います。慰霊塔には、厳粛にお参りしましょう。
一見普通のお寺も、実はキリングフィールドだった
観光客がほとんどいない、プノンペンのローカルなお寺を訪問したときのことです。
そこはとても緑が多い公園のようなところで、金を基調とした鮮やかな寺院と、緑の対比が美しい場所でした。
その中ほどを歩いている時、ガイドさんから「ここはキリングフィールドだ」と聞かされました。
よく見てみると、小さな慰霊塔があり、ガラス張りの窓の中には、たくさんの頭蓋骨が見えました。
観光客がこないようなお寺にも、キリングフィールドは存在しています。
カンボジアの方は、身近にこのような場所がある中で、日常を送っているのです。
トゥールスレン虐殺博物館
当時の政治犯収容所の暗号名からS21とも呼ばれるこの施設は、元々高校だったものを使用した収容所で、2万人もの人が収容され、生還できたのはたったの8人だけと言われています。
今はトゥールスレン虐殺博物館として、拷問室や尋問室、独房などが当時のままの姿で公開されています。
収容されていた人たちの顔写真や、数多くの頭蓋骨、拷問の様子を描いた絵や、実際に使われていた拷問器具なども展示されています。
温厚なカンボジア人からは想像できない史実
明るく優しくて人が好い、のんびりしていて温厚なカンボジアの人々。
その印象からは、過去の内戦での虐殺を信じることができないくらいです。ですが、ほんの40年ほど前に、悲しい歴史があったことは事実です。
その過去を避けることなく、しっかりと受け入れることも必要です。
今、カンボジアは急成長を遂げ、若い人たちの活気であふれています。
それもこの内戦があったからこその今なのでしょう。
アンコールワット
壮大なヒンドゥー教の世界観
アンコールワット。言わずと知れたアジアを代表する世界遺産です。
カンボジア、当時のアンコール王朝に12世紀後半に約30年の歳月をかけて造られた寺院。
東京ドーム15個分という広さは、アンコール遺跡群の中でも最大級の規模を誇ります。
ここはヒンドゥー教の世界観を壮大なスケールで表しています。
訪れる人々は、先ず幅190mもあるお堀を渡ります。
豊富な水でいっぱいのお堀は大海を表し、正門の先に三重に造られる回廊はヒマラヤ霊峰、その壁面は彫刻で覆いつくされ、そこは正にクメール劇場。
躍動感ある天地創造の物語や、迫力ある天国や地獄絵が生々しく描かれ、旅人を飽きさせることがありません。
その回廊を超えるにつれ、高さ65mもある中央祠堂が近づき、そこは須弥山、宇宙の中心にたどり着くのです。
この世界が、クメール芸術の最高傑作であることに誰もが納得するでしょう。
美しい大自然との調和
この壮大さに加えて、大自然との調和が圧巻です。
これほどまでに自然との美しさを追求した構造は、数ある世界遺産の中でも屈指です。
時間、角度、太陽の位置によっても景色が変わる、美しさが計算し尽された設計。
睡蓮が咲く聖池には伽藍が幻想的に映し出され、祠に登れば周囲には緑豊かな森林が広がります。
特に朝日、夕日との鑑賞は必見です。太陽、空、気温、風、見るもの、感じるものの全てが一体化する、この瞬間こそが世界中の旅人が「人生で一度は見ておくべき」という絶景なのです。
カンボジア国民の誇り
ここはカンボジアのシンボルであり、国民の誇りです。国旗にも紙幣にもアンコールワットは描かれています。
アンコール王朝時代に隆盛を極め、かつてこの国は東洋のパリとまで賞されるほど魅力的な国でした。
しかし戦争、植民地支配、世界を震撼させたポルポトの内戦の後、アジア最貧国とまで衰退したのです。
いまだに、貧困、人身売買、捨て子など、暗く悲しいイメージが拭い去れません。
しかし負のイメージばかりが先行してしまっている偏見もあります。
実際には、今やカンボジアは若さと活気に満ち溢れた急成長国でもあるのです。
付近で観光客に蓮の実を売る子ども達に出会いました。
この子たちも、ついついストリートチルドレンか、児童労働かと心配してしまいます。
しかし実際はそんなことばかりではありません。家族の愛情に包まれ、家計の助けをしたくて、働くことを楽しんでいる子ども達もいるのです。この二人もその通りでした。
「学校には毎日行ってるよ。今日も午前中は勉強してきて、午後時間があるからここで仕事してるの。ここは特別なお寺だから、お客さんが多いからね。お父さんもお母さんも一緒に来てるよ。」
確かに少し離れたところには、ご両親やご親戚らしき方々が、レジャーシートに座って談笑しています。
お姉ちゃんは「将来はパイロットになりたいの」、弟は「僕は医者になるんだ」「だから今は一生懸命に勉強してるよ」と、夢を教えてくれました。
この子たちにとっても、ここはこの国の栄光を感じることができる特別な場所なのです。
この子たちが、大人になって、この国をどこまで成長させてくれるのか楽しみです。
アンコールトム・バイヨン寺院
戦乱からの復興を象徴する混合宗教寺院
カンボジア観光の玄関となるシャムリアップ空港。そこから車で20分ほどの場所にアンコールトム遺跡があります。
カンボジアと言えば世界中の観光客を魅了するアンコールワットが抜群の知名度を誇りますが、ここアンコールトムの壮大さも引けを取りません。
アンコールは「町、都市」、そしてトムは「大きい」という意味で、この名が表す通り、アンコールトムは周囲12km、東京ドーム60個分という、アンコールワットの4倍もある巨大都市だったのです。
この都市の中心に位置しているのがここバイヨン寺院。仏教に深い信仰を持つジャヤーヴァルマン7世国王が12世紀末ごろから建立を始めました。
それは繰り返される戦乱を統治し、荒廃した首都復興の象徴でもあったのです。
さて、バイヨン寺院は、元々は仏教寺院でしたが、後に王朝にヒンドゥー教が普及しだしたことから、仏教とヒンドゥー教の混合寺院となりました。
これは柔軟な対応で宗教対立を避け、平和を維持するためだったとも言われています。
そして必見は“バイヨンの四面像”です。そびえ立つ巨大な石像は50塔もあり、一番高い塔では45mもあります。
各塔には観世音菩薩を模した2mもの人面が四方に刻まれ、200個近くもの顔から見下ろされますから、これには圧倒されます。
どの顔も穏やかで “クメールの微笑み”と言われる笑顔で人々を優しい気持ちにさせてくれます。
カンボジアの人々はキラキラしたとても素敵な笑顔を持っているのですが、この時代から笑顔を大切にする国民性だったのかもしれませんね。
さて、戦乱を終焉させ、平和を祈り、慈善事業に尽くした王ですが、安泰な時代が長く続くことはありませんでした。
戦争、内戦と、カンボジアは近現代まで、争いと植民地支配の歴史を刻むこととなるのです。
地雷根絶への祈り
男性の楽団が軽快なカンボジア民族音楽で観光客を楽しませてくれています。
しかし、近づけはすべての人が障害を持っていることに気付くことになります。
手、足のない方。全盲の方もいます。この方々はポルポト政権下での地雷や爆弾の被害者なのです。
カンボジアはこの政権が掲げた原始共産主義思想のもと、国民800万人の四分の一、200万人もが虐殺されるという世界史にも残る悲劇を背負っているのです。
そして、それは遠い昔ではなく1970年代、近現代の出来事です。いまだに世界最貧国のひとつである理由はこの惨劇にあり、国家の成長を阻害してきた根源なのです。
カンボジアの最低賃金が1万5,000円程度に対して、この方々に政府から与えられる慰謝料は1ヵ月30$(約3,300円)。
それでも演奏に対しての寄付金やCDの売上げは全て地雷根絶のために使うと言います。
「二度と地雷を使うことのないように」「二度と戦争が起きないように」と、世界中の紛争地へ歌いかけているのです。
「妻も子もいるから30$じゃ生活できないけど、私たち被害者にしかできない大切なことがある。だからここで毎日がんばってますよ」とお話ししてくれました。
タ・プローム
生き続けるカジュマルは寺院を食い尽くすのか、それとも支えているのか。
この国の最も悲しい時代を生き抜いた尼僧は、薄暗い祠で祈り続けて10年。
知識・文化・医療が集約された大都市
カンボジア、アンコール世界遺産群のあるシェムリアップ州。ここにタ・プロームという寺院跡があります。
ここは12世紀末にアンコール王朝最盛期の王、ジャヤーヴァルマン7世によって建てられた仏教寺院でした。
この王が民衆のために働いた慈善事業が集約されていたのもこの地。
東西1000m南北600mという広大な敷地内に、1万2千人が暮らしており、その中の僧院では2千人以上の僧侶を養成。
そして600人もの踊り子が稽古に励んでいました。
特に医療には注力し「国民が病で苦しむと国家の苦しみも大きくなる」と、地域には100を超える病院を建て、併設された学校では多くの若者が医学を学んでいたのです。
さて、多くの民衆で賑わい、知識人、文化人を育てていたこの地ですが、王の死後は急速に衰退し、14世紀末についにアユタヤ王朝に侵攻され没落に至ったのです。
そしてタ・プロームは19世紀中頃に遺跡として発見されるまで、自然と共に静かに、長い眠りにつくこととなるのです。
生き続ける巨大なガジュマル
ここで最も人々を魅了するのが、巨大なガジュマルに侵食される建造物の姿です。
樹齢300年とも言われる巨大なガジュマルは没落した都に追い打ちをかけるかのように、覆いかぶさり、少しずつ締め付け、全てを飲み込む勢いです。
建物は全く抵抗することもできません。入り組んだ樹枝は脈々と血を送り出し、筋肉隆々の太い根は力強く建物を踏みつけているかのようです。
しかし一方では、このガジュマルが建物の崩壊を防いでいるという捉え方もあります。
確かに無力な建物の骨となり筋となり、このお寺がせめて立っていることができるように、一生懸命に支えてくれている献身的な姿に見ることもできるのです。
いずれにしても人の命も人間の造ったものもいつかは力尽きるという無常。
大自然の中では無力で、自然に生かされているという真理を体感できる場所です。
悲しい歴史を繰り返さないよう祈る尼僧
この密林と荒廃の薄暗い祠に祭壇を祀る女性がいました。
お年は60才を過ぎた頃合いでしょう。尼層はここで毎日お香を焚き、祈りを捧げているのです。
その年月はなんと10年。この国でこの世代の方は特別なのです。
なぜなら1970年代のポルポト政権における内戦で数百万人もの大人が殺害され、この国の成長はそこで一度止まってしまったのです。
この方も当時は既に20代の大人。生き残りと言ってもいい年齢です。
国のいちばん悲しい時を生き、おそらく家族や多くの知人も失った世代。
自分の現地の友人の母親もそうですが、目の前で家族を殺害されたショックから立ち直ることができず、未だに一日を祈りに捧げる女性は少なくないのです。
訪れる人、一人ひとりを優しく見つめながら丁寧にお守を結んでくれていました。
皆の幸せ、健康、商売の成功を祈っているとのことでした。
平均年齢24歳のこの国の若者が同じ過ちを繰り返さないように、正しく国を育ててくれることが切なる願いなのです。
ここでは世界中からの観光客が口をそろえて「神秘的!ファンタジ―の世界!」と感動していました。
それもそのはず、ここはアンジェリーナ・ジョリー主演のアクション映画「トゥーム・レイダー」の撮影地としても有名な場所で、更に宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」のモデルという説もあるほどです。
残念ながら自分はどちらも観てませんので、この二本を見て行けば感動も倍増だったかと、ものすごく後悔しました。
古都 – ウドン山のお寺
17世紀から19世紀に栄えた都
カンボジアの都と言えば現在のプノンペン、そして世界遺産アンコール・ワットを建造したクメール王朝は世界的に有名ですが、首都プノンペンから約40㎞先にもウドン(Oudong)という古都があります。
17世紀から19世紀まで約250年間は、この小高い丘に都があったのです。
山頂には三つの塔がそびえ立ち、これは異なる時代の王が建立した仏塔。遠くからでも見えるウドンのシンボルです。
最盛期には100以上もの寺院が建立されていましたが、ポルポト時代の内戦によってその多くは崩壊されてしまいました。
しかしそこに残る仏教遺跡群は、ユネスコの暫定リストにも載っているほどの貴重な世界的な遺産なのです。
遙かに山頂を見上げる平地の中心には、カンボジアの人々が“ウドン山のお寺”と呼ぶ大きな本堂があります。
それは空と雲以外は何も見えない空間に、金色に輝く要塞のようでした。
この本堂の周辺にはいくつかの礼拝堂や涅槃像もあり、この辺りだけでも十分な観光を楽しむことができます。
300人の尼僧が修行するお寺
境内を散策していると、あちこちから出てくる作務衣を着た尼僧さん。
歩いていたり、手を合わせていたり、楽しそうに談笑している方々。
年齢は40代くらいから、杖を突いている方は70代くらいでしょう。
この尼僧さんたちが次々に、あまりにもたくさん出てくるので驚いてしまいました。
このウドンのお寺は古都というだけでなく、尼僧が多いことでも知られているのです。
この尼僧の多さについて、現在このお寺で二番目の地位というサルーさんにお伺いしました。
現在だいたい300人くらいの尼僧がいます。
このお寺を創設した僧侶は、カンボジアの全土で布教をしました。
そこでその説法を聞いた女性がもっと仏教を勉強したいと、このお寺に来るようになったのです。
そうした弟子入りを希望する女性が次々に増えたことから、尼僧用の寮も建てて、更に尼僧が増えていったのです。
今やカンボジアだけでなく、中国、韓国、そしてオーストラリアやアメリカの女性も尼僧となり、ここで学んでいます。
その期間は最短で一週間、次に三か月、半年、いちばん長い人で四年間住んでいる女性もいますよ。
そしてここで仏教を学んで、各地に帰って布教活動をするのです。
尼僧さんのお昼ごはん
300人の尼僧さんだけでなく、男性のお坊さんも100人くらいいますので、総勢400人の方が暮らすには、さぞかしお金もかかることでしょう。
電気代だけで毎月1,000$は超えますので、今は自家発電もして節約してます。
そしていちばん大変なのは食費ですが、近所の方や信者さんたちが、代わるがわる用意してくれるので本当に助かっています。
ちょうどお昼時。ぞろぞろと出てくる300名の尼僧さんがお給仕を受ける姿は圧巻の光景です。
尼僧さんたちがどんなご飯を食べるのか、ちょっと見せて頂きました。
お米の上にさつま芋、魚と野菜のスープ、ブロッコリーの炒めものに、タッパに入っているのは牛乳でしょう。
女性のお昼にしては結構な量があるかとも思いましたが、皆さん修行中。
食事を採れるのは朝と昼の二食だけ。夜はお茶だけですから、お昼はこれくらいの量は食べておきたいですね。
ワット・ソムラオン アンデット
涅槃像に添い寝する人、食事を作る近所の人々、身寄りのない高齢者も生活する開放されたお寺。
とても元気で明るい住職は、カンボジア7万人の僧侶のうち3番目の地位という高僧でした。
地域の人々に開放されたお寺
カンボジアのプノンペン国際空港から北東へ車で小一時間ほどに、地域の人々に愛されるワット・ソムラオン アンデットというお寺があります。
小高い丘から境内へ。20mほどの涅槃像が横たわっているのですが、その真横で人が添い寝しているのです。
お弁当やジュースも持ってきて、毎日ここで休憩しているようです。とても気持ちよさそうでした。
その先にはお釈迦の誕生を表したスペースがあり、そこでは高齢の女性がお線香を整えてます。
「私には家族がいないから、住職にお願いして死ぬまでここで生活させてもらってるの。お寺の掃除をして、 若い人にお釈迦様のお話しもするのよ」と、こうした身寄りがない高齢者が26人も住んでいるとのことでした。
ドン!ドン!と響く太鼓はお昼ご飯の合図です。
そこには100人以上が座れる食卓がセットされていて、たくさんのご近所の人々が食事の準備をしてました。
そして僧侶もご近所さんもみんなで昼食を食べ始めるのです。地域の人々を大切にして、気軽に人々が集まる理想的なお寺の風景でした。
週末は二万人が訪れる魔法の祈祷
さて、このお寺は祈祷がとても有名でその効果は“魔法”とまで言われているのです。この日もその祈祷を受けに多くの人が訪れていました。
本堂の手前では、僧侶が大きな水がめから水を汲んで、腰を下ろした人の頭からザバザバと水をかけてます。
何度も何度も水をかけられて、洋服までずぶぬれになりながらも、その方はありがたく手を合わせているのです。
この祈祷を受けに、金土日の週末の三日間だけで2万人の人々が訪れることもあるのです。
この日は平日だったので20人程でしたが、週末は一度に200人の方々に聖水をかけるそうです。
カンボジアで三番目の高僧
こうして人々が集い、魔法の祈祷を生み出したのはどんな住職なのか、とても興味が沸きます。
この日は本堂で住職の読経があるというので参列してみました。読経が始まりしばらくすると、住職は参列者に向かって歩き出し、一人一人に大きな声で話しかけます。
「結婚するの?!お互いずっと好きだね?!私の顔を見て誓いなさい!」
「子供が欲しいの?!毎朝のこの花を頭に乗せて祈りなさい!」
「ビジネスを成功させたいならスマホを祈祷しよう!それで電話すれば取引は直ぐにOK!」
と、とにかく元気に、時には笑い声をあげながら話しかけているのです。
そして私を見ると「日本人?嬉しいね!日本語も英語も話せないけど、ニコニコで伝わるよね?」と、楽しそうに話をしてくれました。
「ここは40年前は何もなかったんだよ。私がこのお寺を建てて、その後は、アメリカ、オーストラリア、フランス、スリランカにお寺を建てる指導をしてきたんだ」
住職は、人々が集まる布教のやり方、お寺を建てるための資金集めのノウハウがあり、それを各国で指導しているのです。
ここでの近所の人々が集う様子を見ていると納得できます。
そして、住職のこの実績と人柄は、国内でも大きく評価されています。
「このメダル分かる?これ以上の位は無いんだよ。カンボジアには7万人のお坊さんがいるけど、私は3番目の位。また来てね。今度は一緒にご飯を食べよう!」
ワット・チョン ポッ クエッ
樹齢300年の木々が生い茂るお寺
カンボジアの首都プノンペン郊外にあるお寺“ワット・チョン ポッ クエッ”。
カンボジアの人に「そのお寺は何で有名なんですか?」と尋ねると、誰もが口を揃えて「木です」と答えが返ってきます。
広々とした境内は開放感がいっぱいで、巨大な木がカンボジアの灼熱の太陽を遮ってくれてます。
熱帯のこの国にとって木陰はとてもありがたい場所なのでしょう。
多くの木は樹齢300年程、中には500年という大木も枝を広げていました。
日本にはない木で、現地の人は「ゴウキ」と発音してました。
内戦時代のキリングフィールド
カンボジアの人からすると木陰がいちばん有名なようですが、私たち外国人から見ればもっと注目したいものがあります。
このお寺は元は処刑場、キリングフィールドだったのです。
キリングフィールドとう名前はイギリス映画のタイトルにもなり、日本でも大ヒットしました。
プノンペンにある処刑場がとても有名で、観光コースには必ず含まれています。
ただこの名前は特定の処刑場を指しているのではなく、処刑場全般の名称なのです。
その中の一つがここでした。
カンボジアにはポルポト時代という世界史にも大きく残る悲劇の内戦がありました。
当時の国民800万人のうち、200万人から300万人が理不尽に殺害されたのです。
独裁者ポルポトは「全員が平等の国にするには全ての国民は農業だけやっていればいい。知識人はいらない」と、教師、学者、医者、そして僧侶までが犠牲になったのです。
ここワット・チョン ポッ クエッの慰霊塔には300体の遺骨が安置され、更にはまだ掘り起こしてない遺骨も同じくらいの数はあるだろうということでした。
内戦後に建てられたお寺ですから、まだ40年ほどの歴史でしょう。
境内には、2001年設立と刻まれた火葬場もありました。
東南アジアでは火葬場が付いているお寺が結構あります。
ここでもお葬式から火葬、埋葬まで全てを執り行うことができるのです。
大量の薪を割り続ける若いお坊さん
そしてとても興味深かったののが、若い多くのお坊さんが炎天下の中をひたすら薪を割っている姿です。
フラフラになりながらも薪を割り続ける若いお坊さん達。
とても話しかけられる雰囲気ではないので、近くで目を光らせている中年のお坊さんに聞いてみました。
色が黒く、鋭い眼光、筋肉が盛り上がった体はいかにも鬼教官です。
「ここは僧侶だけで100人、職員や住み込みの信者も含めると200人以上が住むお寺です。この薪は火葬にも使いますが主に料理用です。一食で150㎏のお米を炊いておかずも作るのです。それには毎日大量の薪が必要なんですよ。若い僧侶には一日この作業をやらせてます」
修行の一つなのかもしれませんが、それにしても若いお坊さんたちが辛そうです。
今やカンボジアだってガスの時代、他のお寺ではガスが使われているのは当たり前のことです。
一日中やっているのですから、もっと他の勉強もしたいでしょう。
恐る恐る教官のお坊さんに聞いてみました。
「なんでガス使わないんですか?」「だって、爆発したら危ないでしょ」とのこと。
若いお坊さんからの「ガス入れて下さいよ~」って泣き声が聞こえてきそうです。
ダッチ島(シルクアイランド)
かつてシルクの生産の中心だったカンボジア
現在、東南アジアのシルクと言えば、タイシルクが有名ですが、実はカンボジアがアンコール王朝だった頃、カンボジアがシルクの生産の中心だったことはあまり知られていないのではないでしょうか。
シルクの生産は、紀元前3000年頃の中国ではじまったと言われています。
このシルクが中国から、インド、ヨーロッパへと輸出されていきました。これがシルクロードのはじまりです。
黄金の繭からつむぐゴールデンシルク
カンボジアの蚕は、「カンボウジュ種」と言われる原種に近い品種で、黄色い繭を作ります。
この黄色の糸は、光を受けると美しい黄金色に見えるのです。
「黄金の繭」、「黄金の生糸」とも呼ばれています。
さらには、日本などのように品種改良されていない蚕のため、シルク本来の良さがあり、身につけると身体にやさしいとも言われています。
内戦で絶たれる伝統技術
アンコール王朝時代、このゴールデンシルクは大変な評判となり、インドやタイなどでも売られ、隣国の王族もこぞって求めたと言われています。
アンコール遺跡にも、シルクを纏った姿が描かれた壁画が残っています。
さらに、フランス植民地時代には、ヨーロッパへも盛んに輸出され、その精巧な技術は、織物の最高峰と評されたと言います。
ですが、隆盛を極め、代々引き継がれていたシルクの生産は、1970年頃から20年も続く内戦で、壊滅的な状態となってしまいました。
伝統の製法を引き継ぐ「シルクアイランド」
そして今、わずかに残った生産者の知識や技術で、カンボジアシルクの伝統は維持されています。
プノンペン中心部から、フェリーで10分ほど、メコン川とトンレサップ川の合流付近の中州の島「ダッチ島」。
このまだ開発の進まない穏やかな島は、いまだにシルクの生産が盛んで、「シルクアイランド」とも呼ばれています。
蚕の飼育や、昔ながらの機織り機での機織りの様子など、一連のシルク生産を見学することが出来ます。
機織り場におじゃまして、職人さんとたわいもない話をして過ごす穏かな時間もとてもいいものです。
島での生活のこと、カンボジアシルクの歴史なども丁寧に教えてくれます。
カンボジアのお土産は、ここでシルク製品を買うのもいいかもしれませんね。
シルクと畑に囲まれ、野生の牛や元気な子ども達を見ながら、島をドライブするのも楽しいですよ。
CHANGでは、フェアトレード商品として、シルクアイランドで生産されたクロマーと言われるカンボジアの万能布を、イベントなどで日本国内での代理販売をおこなっています。
ボランティア見本市やフェアトレードフェスタなど、出店情報はホームページでお知らせします。
その際には、ぜひご来場いただき、美しいカンボジアシルクを手に取ってご覧ください。
トンレサップ湖
アンコール遺跡に行くなら、ここも寄ってみましょう。2~3時間あれば見学できるコースです。
トンレサップ湖は、東南アジア最大の湖であり、100万人とも言われる水上生活者は、世界最大規模。
心地よい風にあおられながら、ボートで30分ほど。日本では見ることのできない光景に出会えます。
湖の上には普通に家が建っていて、人々が洗濯物を干していたり、子供が遊んでいたり。
いちばん驚いたのは、湖にある小学校。
湖に建つ校舎では普通に授業が行われ、通学バスのようなボートが家から家へ、子ども達を送迎しています。
同じく湖にあるレストランで、ビールとシーフードを食べるのは、最高の時間ですよ。
ケプビーチ
プノンペンから日帰りでも行けるビーチです。
人々で賑わうプノンペン、観光客でいっぱいのシェムリアップもいいですが、ちょっと息抜きビーチでゆっくりもお薦めです。
マリンスポーツができるようなビーチではありませんが、十分にきれいな砂浜と海、人も少なくて、とにかくゆっくりできるリゾートです。
日本人に何より嬉しいのは、海の家がしっかりしてること。
日本の海の家と変わりません。ゴザの上でゴロゴロしたり、ハンモックでユラユラくつろげます。
トイレもシャワーも目の前のゲストハウスのを使えるから清潔です。
エビや焼き魚、シーフード料理も有名です。
余裕のある方は泊まりで行くのもいいですね。
市場や駄菓子屋で買い物
多くの観光客が行くマーケットではなく、地元の人が行く市場に行ってみませんか?
きれいな場所とは言えないところもありますが、人々の活気に満ちた声で賑わい、そして所狭しと物が並んでいます。
豚や牛、ニワトリに魚を豪快に売る様子もこうした市場ならではの風景です。
生活用品から食べ物まで、何でも売っている市場で、カンボジアの人々の生活を垣間見ることができるでしょう。
駄菓子屋の周りは、子ども達がアイスを食べたりおもちゃで遊んだり、日本の昭和を思い出させる懐かしい風景です。
一般のご家庭訪問
親しいご家庭がたくさんありますから、普通の家にもいつでも遊びに行けます。ここにもちょっと寄ってみませんか?
みんなとても親切で朗らかな方ばかり。隣り近所の人も直ぐに集まってくれます。
家にいるお母さんたちとおしゃべりしていると、生活のことや仕事のこと、普通の人がどんな暮らしをしているのかもよく分かります。
料理や洗濯や家事を見せてもらったり、みんなでお菓子を食べながらジュースを飲むのも楽しい時間です。
午後になると、小学校へ行っていた子ども達も帰ってきます。どの子も体を動かすのが大好き、追いかけっことかで盛り上がりますよ。