ラオス観光おすすめスポット
半日ツアーなら2~3ヶ所、一日ツアーなら3~4ヶ所ご案内できます。
首都ヴィエンチャンのシンボル
凱旋門(パトゥーサイ)
ゴミ一つ落ちてない広々とした公園、南国の背の高いヤシの木、噴水が涼を感じさせてくれます。そこにそびえたつのが凱旋門(パトゥーサイ)。
「何もない首都ヴィエンチャン」などと言っている方もいますが、これを見たらイメージは一転。美しさに圧倒され、ここから始まるヴィエンチャンツアーに一気に気持ちが高ぶることでしょう。
正式な名称は、アヌサーワロー・パトゥーサイ。
内戦の終結とパテート・ラーオの勝利(共産主義革命の勝利)を祈念して、1967年から建立が始まりました。
外観からは完成された姿にしか見れませんが、実はまだ内部は未完成で内外のギャップも楽しめるのです。
フランス・パリの凱旋門を参考にしましたが、そっくりではありません。
屋上のデザインは、フランスは平たんでとてもシンプル、一方こちらラオスの凱旋門は、屋上にお城を乗せたようなデザインをしていて豪華さがあります。
有料ですが、内部に入って上まで登ることができます。
先ずは真下から見上げてみると、ヒンドゥー教の神々が色鮮やかに勢ぞろい。
内部はお土産店になっているので、置物、絵画、Tシャツなどが展示されてます。
展望場所からの景色は必見です。
首都ヴィエンチャンを一望、まだまだ高い建物が少なく、青い空に美しい木々の緑、国会議事堂とお寺の屋根がすぐ近くに見えて、とても爽快な気持ちになることでしょう。
ヴィエンチャン観光はここからスタートです。
突然現れる不思議な仏塔
黒い仏塔(タートダム)
ヴィエンチャンの中心部、おしゃれなレストランが並ぶロータリーに、周囲の景色とは全くかけ離れた雰囲気の塔が突然現れます。
時間や太陽の位置によっては真っ黒にも見え、更にコケがフサフサ生えているかなり不思議な物体、異様な雰囲気に見えることでしょう。
元々は金色に輝く仏舎利塔(お釈迦様の骨がご安置されている)だったそうですが、シャム(現在のタイ)からの攻撃から街を守るために、7頭の龍が住んでいた伝説があります。
龍と言うのはナーガ、インド神話に出てくるヒンドゥー教の蛇の神様のことです。仏教はヒンドゥ―教の影響も大きく受けているので、ヒンドゥー教の神々が姿を変えて祀られているのです。
おなじみの梵天さま、帝釈天さま、毘沙門天さまも元々はヒンドゥー教の神様です。
タートダムは観光に時間のかかる場所ではありません。中心部ですのでちょっと寄って、必見の価値ありです。
珍スポット奇妙な神仏の数々
ブッダパーク
奇妙な神仏の数摩訶不思議な空間は今やラオスの人気観光地となっています。
そこで働く人たちでさえ「何でこんな変わった像ばかりなのか分かりませんよ」と驚いていました。
誰もが驚愕する超独特な世界観
ラオスの首都ヴィエンチャン中心部から東に25km、そこには誰もが驚く摩訶不思議な空間があります。
そこは「ブッダパーク」と呼ばれ、正式にはワット・シェンクワンというお寺の名称を持っています。
お寺と言っても本堂もなければ、僧侶もいません。そこには独特の形と世界観に溢れた仏教とヒンドゥー教のモニュメントが200体以上も建っているのです。
「独特!」「強烈!」「何でこういうの造ったの?」と、一般的なお寺では出てこない感想ばかりです。
ブッダパークの神仏は古代遺跡のようにも見える色合いをしていますが、これは素材のコンクリートが黒ずみ、風化しているだけなのです。
実は歴史は浅く、1958年に、宗教家であり彫刻家でもあるブンルア・スリーラット氏により造られました。
スリーラット氏は、彼の独自の世界観を表し、人々がきゅうくつな現世から解放され、癒されるスポットを造りたかったそうです。
確かにここにいると現世を忘れて、この奇妙な世界に圧倒されてしまうことでしょう。
絶大なインパクトのお蔭で、ラオスに住んでいる友人も「人が来たらここだけは絶対には連れて行きたい」と言うのです。
今や名スポットならぬ珍スポットとの呼び声も高く、とにかく行く価値のある場所なのです。
200体を超える奇妙な神仏
真っ先に目に入るのは、巨大なかぼちゃのようなドーム。目玉が飛び出し、あごが外れるほど開いた口、ここが入口ですから驚きます。
この内部は地獄界、地上界、天上界と三層になっていて、細いはしごを使って順に上がることができます。
内部の壁一面には細かい彫刻が施されて、スリーラット氏の独自の世界観を伝えたいという意気込みを感じることできます。
そして屋上は展望台になっていて、ブッダパーク全体を見渡せるのです。
パーク内を歩いてみると、次から次へと興味深い神仏が建ち並びます。
10本の腕を操る戦いの女神ドゥルガー、太陽を掲げ、月を飲み込もうとしているのは、日食月食を司る魔人ラーフでしょう。
七つの頭はインドの蛇神ナーガ、象に乗っているのは天空を神格化したインドラ。
こうして、なんとなく分かる神仏もあるのですが、多くは初めて見る姿ばかり。
仰向けに反った女性を抱える神、巨大なバッタと戦う兵士、豚に乗っかられた人間は、ベーっと舌を出しています。
蛇の大きな口からは、ショーダンサーのように両手を広げて飛び出す女性、仏陀の涅槃像も横から見ると薄っぺらいのです。
エメラルド仏のために建立
ワット・ホー・プラケオ
エメラルド仏はタイに略奪され、今はかつての栄華が寂しく残るお寺。
諸国を転々と移動するエメラルド仏
ワット・シーサケットの目の前に、「ワット・ホー・プラケオ」があります。
ここにはかつてラオスの国宝だった「エメラルド仏」が祀られていました。
エメラルド仏は紀元前に古代インドのマガダ国で誕生しました。しかしその後の内戦から守るため、スリランカに運ばれ、更に現在のカンボジア、タイのアユタヤなど、諸国を転々と移動しました。
そしてラオスの前身であるラーンサーン国王によって、1565年に首都ヴィエンチャンに移ることを機に、ワット・ホー・プラケオは建立されたのです。
ところが、その後約200年もの間ラオスの信仰の象徴であったエメラルド仏は、1779年にシャム王国(現タイ)との戦争によって略奪され、現在はタイのワット・プラケオに祀られているのです。
常に世界中の観光客で賑わうタイのワット・プラケオはタイを代表する王宮寺院です。
ところが元々エメラルド仏があった、こちらのワット・ホー・プラケオはひっそりとしていて、私が訪問した時は他の観光客が誰一人いないほどでした。
更には戦争によって崩壊された仏像の残骸は、本堂の裏側に無造作に積まれていて、タイとの対照的な姿に何とも寂しさを感じました。
謎の多い美術品や骨董品の数々
現在のワット・ホー・プラケオは博物館ともなっていることから、ラオス各地から持ってきた美術品や骨董品もあり、それらは謎の多い興味深いものばかりでした。
両手でも抱えきれないほど大きな石壺は、ラオス北部のジャール平原から持って来たものです。この壺はお墓である説や、巨人がお酒を醸造ために使ったなどという言い伝えもあり、真意は謎とされています。
私は餅つきの臼に見えましたが、はるか昔の一世紀に作られたこの壺を何に使っていたのか想像するのも楽しいです。
大木の彫刻にはたくさんの象、そして蛇、うさぎ、木々、子供の姿もあります。
古代の恐竜の横には、何世紀も後の民家が彫られていて、異なる時代の絵を一つの彫刻で表すことが何を伝えているのか空想が廻ります。
首都ヴィエンチャン最古のお寺
ワット・シーサケット
境内には6,840体もの仏像が安置され、16世紀の建立当時の希少な姿を保つお寺。
16世紀の建立当時の姿で再建
ラオスは米国誌アンケートの世界でいちばん行きたい国にも選ばれ、その目的は活動的に動き回るのではなく、古都をゆっくりと楽しむスタイルがおすすめとされています。
実際にラオスに行くと、多くの欧米の方を見かけますが、どちらかというと、若い方より中高年の方が多く、家族や友人同士でゆっくりとお寺を廻っている姿を目にします。
このラオスの過ごし方にとてもふさわしいお寺が、首都ヴィエンチャンにあるワット・シーサケットです。
東南アジアに多い、煌びやかさはなく、特徴的な黒塗りの屋根と、床のレンガが落ち着いた雰囲気を出しています。
観光客で溢れていることもありませんので、ここならゆっくりと穏やかな時間を過ごせることでしょう。
ワット・シーサケットは、首都の中心部にセーターティラート王により建立されました。
ところがラオスの多くの寺院が同様なのですが、この寺も18世紀以降の度重なる戦乱に巻き込まれ、破壊された歴史があります。ラオスは部族同士や隣国との争いから、歴史的な建造物の多くを失っているのです。
そしてここは1818年に再建されたのですが、その時、16世紀の建立当時の姿で建てたことが、非常に希少で価値があるのです。
6,840体もの仏像が安置
最古というだけでなく、有名なのは境内には6,840体もの仏像が安置されていることです。
回廊に約4,000体、そして本堂には2,000体ほどの仏像があるのですが、残念ながら本堂の撮影は厳しく禁止されていました。
回廊には様々な色と大きさの仏像がずらりと並び、とても見ごたえがあります。中には崩壊された仏像もあるのですが、これは戦時中に壊されたものです。
仏像の目には宝石が使われていたり、体内にも財宝が埋まっていたりしたことから、その略奪のためにこんな痛々しい姿になってしまったのです。
そして仏像の背後の壁には釣鐘型の穴が無数にあり、そこには小さな仏像が二体ずつ納められているのが、とてもかわいらしく見えました。
幾つかの墓碑は、おそらく王族のものかと思われます。それは尖塔も含めると5mほどの高さもあり、一基ごとに広い敷地に建てられています。
本堂は古い様式ですが、墓碑は近代の様式なのか、細かい彫刻に覆われ、小さなお城のようです。
中には遺影が祀ってあり、そこにはスーツを着たご夫婦の姿が映っていました。これは日本にはないめずらしいお墓のスタイルです。
ラオスの国章に描かれる寺院
タートルアン
ラオス最高峰の寺院であり、45mの黄金の仏塔は国のシンボル。
首都を築いた王が再建
ラオスの首都ヴィエンチャンに、ラオス最高峰の寺院であり、国のシンボルと言われるタートルアンがあります。
国章にまで描かれていることからも、国を代表する寺院であることが分かります。
タートルアンは紀元前3世紀に、ブッダの胸骨を納めるため、インドから派遣された僧侶により建立されたという説があります。
その後、廃墟となったこのお寺は、16世紀にラオスの前身であるラーンサーン王国のセーターティラート王により再建されました。
この王は当時の首都をルアンパバーンから現在のヴィエンチャンに移し、タイ北部からも多くの文化を取り入れました。正に首都ヴィエンチャンを築いた王様です。
タートルアンの入口にはこの王が勇ましく銃剣を抱え、ドカッと座っています。
自分が築いたヴィエンチャンをいつまでも高くから見守っている威厳と誇りに満ち溢れた姿、少し微笑んだお顔はとても満足そうです。
国のシンボル、タートルアン
遠くからでも目を引くのが45mもある黄金の仏塔。この仏塔こそが国章にも描かれる国のシンボルです。
金一色、過剰な装飾もなく、金の平面が美しく生かされていて、このシンプルさがより品格を放っているのです。
十分に幅をとった敷地は、緑の美しい芝生で覆われ、ここが特別な場所であることを感じます。
パワースポットとしても名高い仏塔、気を感じながら芝生の上をゆっくり歩いてみるといいでしょう。
北側に構えるのが、ワットタートルアンヌアという豪華な宮殿です。
ここはラオス仏教総主教宮とも言い、ラオスの仏教会で最高位の僧侶が住んでいます。
全体的に朱を基調とした美しい模様と、広々とした空間、壁には隙間なく仏画が展示されています。仏画には昔の僧侶が大衆に布教をしている様子や、僧侶の生活などが描かれています。
一枚一枚の絵が何を伝えているのか、そこに描かれる物語を連想するもの楽しいでしょう。
穏やかな微笑みの涅槃像
併せて見ていただきたいのが、タートルアンの隣接地に横たわる金の涅槃像です。
バンコクのワットポーの涅槃像は世界的に有名で45mもありますが、こちらはその半分くらいでしょうか。
そして、多くの人が口をそろえるのが穏やかな顔。だいたいの仏様は穏やかな顔をしていますが、この仏様のお顔は格別です。ニッコリとした眉毛とたれ目、寄り目も愛嬌があり、口元は優しく微笑んでいます。
この仏様を眺めていたら、誰だって力が抜けて温厚な気持ちになれることでしょう。
ラオスで最も女性が訪れるお寺
ワット・シームアン
自らの命に変えて建立を願った、伝説の女性シーさんが眠るお寺。
守り神となった女性、シーさんの伝説
首都はヴィエンチャン。ここにラオスで最も女性から人気があり、また最も美しいとも言われる、ワット・シームアンというお寺があります。
1563年、セーターティラート王がこの寺院を創建する際、神に捧げる人身御供(ひとみごくう)、いわゆる生けにえが必要となりました。
誰も生けにえに名乗りでない中、シーさんという若い妊婦が、寺院建立のために、支柱を建てる穴に飛び込み、自らと母体の子の命を捧げたのです。
この時からシーさんは町の守り神として、伝説の女性になりました。
シーさんへの想いから、ここは圧倒的に女性の参拝者が多く、特に本堂では、バーシーいう儀式を受ける女性ばかりで賑わっています。
このお寺が女性に人気があるまたの理由は、煌びやかさです。
金、茶、琥珀色、同系色の装飾が美しく組み合わさる本堂。その中には更に輝く黄金のベッド、お姫様に憧れる女性なら誰でもうっとりとしてしまうでしょう。
そして幾つかある仏殿は色鮮やかな壁画で埋め尽くされ、それはとても神秘的です。
シーさんの像は本堂の奥の部屋にあり、そこでは座る場所もないほどにたくさんの女性がシーさんへ祈りを捧げているのです。
この寺院を建立できたことへの感謝、そして人生の節目での報告をしているのでしょう。そこはお線香とジャスミンの香りに包まれた、とても清らかな空間でした。
メコン川の絶景
メコン川は、中国、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナム、そしてラオスを流れる、世界で10番目、東南アジアでは1番長い川です。
これらの国々を「メコン地域」とも呼び、正に東南アジアの代名詞となっている大河なのです。
ラオスの人々もメコン川と共に生活をしています。
朝はメコン川を散歩、夕方から夜は多くの人々がここで穏やかな時間を楽しんでいます。たくさんの屋台が並びますから、お好きなつまみとビールで一杯も最高のひとときです。
美意識の高いラオス女性は、メコン川沿いのエアロビクスでより美しく。
そして、18時のこの絶景!アジア屈指の美しさと言ってもいいでしょう。
この夕暮れ時のメコン川を見るだけでも、ラオスに行く価値があるのです。
タイ・ラオス友好橋
ラオスのヴィエンチャンとタイのノンカイを陸路でつなぐ橋。1994年4月にオーストラリアの企業の援助で開通しました。
メコン川にかかる橋の全長は1,170m、幅3.5mの車道に加えて、朝から夕方まで開放されている歩道もあります。
国際電車で橋を超える場合は、ヴィエンチャンのタナレーン駅からノンカイ駅(タイ側)へ行くことができます。
但し、電車は本数も少なく、タナレーン駅までへんぴな所にあり、行くまでが一苦労。そこで国境超えはバスを利用するのが一般的です。
バスの場合は、ヴィエンチャンの中心クアディンバスステーションで乗車。イミグレーションで出国手続きをして、先ずはタイのノンカイに着いて、更にウドンターニーの中心へ。
この全行程で約2時間ですから快適です。
私たちはヴィエンチャンのイミグレーションで道順を聞いて、歩いて橋に上がってみました。
橋の下の小屋にいた警察官へ3,000Kip。小屋には布団が敷いてあって住んでいるようでした。
橋は歩いて進むことはできますが、国境を超えることはできません。
橋として特別な見どころがあるわけではないのですが、「陸路で外国とつながっている」という日本にはない国境を感じることができます。
コープビジターセンター
平和で穏やかなイメージの強いラオスですが、意外にも「世界で最も空爆を受けた国」なのです。
ベトナム戦争時、ラオスは中立国であったにもかかわらず、物資や兵隊の輸送ルートが通っていたことから、アメリカ軍の猛攻撃の対象となりました。
空爆は58万回、落とされた爆弾は200万トン。数字で言われても想像すらできない大きさです。
更にそのうちの30%もが不発弾として残っていることから、国民の大きな被害と不安は消えることはありません。
クービエン通りのヴィエンチャンセンター方面、ちょっと左に下った場所に、国立リハビリテーションセンターがあり、この施設内にコープビジターセンターという、「義足の博物館」とも言われる資料館があります。
そこには義足や義手の展示に加えて、恐ろしいクラスター爆弾が空から降ってくるかのように展示されています。
その他にも、戦争時の家や部屋が再現されていたり、被害を受けた方々が、現在がんばっている写真などもたくさん見ることができます。
どの国もそうですが、その国を好きになるには、過去を学ぶこともとても大切なことです。
戦争、爆弾ととても悲しい内容ですが、ここは展示に工夫があるのか、芸術性もあって、それほど暗い気持ちにはならないかとも思います。
行きやすい場所ですし、一時間もあれば十分に見学できます。入場料も無料ですので、是非行っていただきたい場所です。
お子様と一緒に遊園地
「子供と一緒にラオス」「家族旅行でラオス」ってあまり聞きませんが、子連れで楽しめる場所をご紹介します。
メコン川沿い、夜はナイトマーケットで賑わうあたりの土手の下、遊園地のシンボル、観覧車が見えてきます。
日中見た時は大きなすべり台をふくらましていたり、他のアトラクションはなく、夜までに準備するようでしたので、その都度設営する遊園地のようです。
夜7時に行ってみたら地元の子ども達でいっぱいです。みんなとっても楽しそうで賑わっていました。
規模は大きくありませんし、観覧車も小さく、ジェットコースターも随分低い位置を走ってるのが逆に安心。
このくらいの広さなら、一目で見渡すことができるので、子供さんも迷子の心配もないでしょう。
射的で景品が取れたり、日本の縁日のような雰囲気。子供だけじゃなく大人も十分に楽しめるでしょう。
何といってもネオンがきれいでした。
高層ビルがないヴィエンチャン、これだけの照明なのですが、廻りに一切明かりがない空間に、遊園地だけがキラキラと輝く特別な場所になっていました。
LAODI 工場見学
ラオスで日本人が造っているクラフトラム酒“LAODI”
ラム酒とはサトウキビを原料としている蒸留酒のことです。
日本でもサトウキビの生産地である沖縄を中心に蒸留されていて、そのまろやかな口当たりと、様々な香りで多くのファンを魅了しているのです。
大ヒット映画「パイレーツオブカリビアン」では、ジョニー・デップ演じる海賊がラム酒を愛飲。この影響でイギリスではラム酒が飛ぶように売れるようになったとか。
ラオスは一年を通じて気温が高く、上質なサトウキビが育つ土地柄。正にLAODIは世界で最も適した環境でラム酒を造っているのです。
2018年にはワイン&スピリッツ国際大会でシルバーアワードを受賞。
豊富なテイスト、先ずは琥珀色のまったりとした味わいブラウンラムと、ワインのようなフルーティーなホワイトラム。そして、ウメ、コーヒー、シュガーケーン、パッションフルーツ、プラム、ココナッツ、と様々なリキュールを楽しめます。
どれも素敵で迷ってしまいますので、気分に合わせて選ぶのがいいでしょう。
ヴィエンチャンの空港には小瓶がお土産として売っていて、これがとても喜ばれるのです。
うちの事務所にもRAODIが飾ってあって、お客さんが来ると、「あれっ?!RAODIですよね!」って直ぐに意気投合できるアイテムにもなっています。
そしてRAODIの工場見学が可能です。
学生のスタディツアーや、社員研修にもピッタリの環境。広大な畑でのサトウキビの無農薬栽培から一貫作業。
何より、「日本人がラオスでラム酒を造る!」というその情熱は、どんな職業や年齢に人にも勇気を希望を与えてくれることでしょう。
LAODIを経営している井上さんは昔からお世話になっている方です。
工場見学は井上さんの都合を聞いてからお伺いした方がいいでしょう。是非お問合せ下さい。
ビヤラオ(Beer Lao)本社・工場
ラオスが世界に誇るビール“ビヤラオ”
世界中の旅人からも「東南アジアでいちばんおいしいビール!」と絶賛されているのです。
今ではビールの本場ドイツだけでなく、アメリカ、フランス、アジア各国と世界13か国に輸出。
ベルギーのモンドコレクションでは金賞を受賞。世界各国の品評会で表彰されているのです。
ASEANの中でラオスはアルコールの摂取量が1位~2位。
タイ、ベトナム、カンボジア、どこの国の方もビールは結構飲むのですが、ラオスの決定的な違いは「女性が飲む!」ということでしょう。
とにかく女性がお酒が強く、日本人男性だったらよほどの酒豪でないと負けてしまうと思います。
そしてビヤラオは日本のビールと似ているので安心して飲むことができます。
軽い口当たり、スッキリしていてキレもある、低温で長期発酵のラガー。アルコール度数は5%で、日本でメジャーな、黒ラベル、一番搾り、エビスあたりはどれも同じ5%。
ただし、ラオスではビールは氷を入れて飲むのが一般的。氷でちょと薄まったビールも中々ですので、一杯は試してみて下さい。
ビヤラオの本社と工場はヴィエンチャン中心から車で30分ほどの場所にあります。
工場見学については、「できる」「できない」との記述があり、また「小さな博物館がある」などのブログを掲載している方もいます。
私たちが先日行った時は土曜でしたが、工場の守衛さんが「平日なら入れます」と言っていました。今後行った時にちゃんと確認してきます。
見学ができるようなら、LAODIと共に、スタディツアーや社員研修、大人の社会科見学としてセットで行ってみたいですね。
托鉢
托鉢とは、お坊さんの修行の一つで、歩いて家々を廻り、食料や時にはお金をいただくことです。
日本もラオスも同じ仏教ではあるのですが、日本は「大乗仏教」、それに対してラオスは「上座部仏教(小乗仏教)」と言って、僧侶への敬いが非常に強く、日ごろから僧侶へお布施をするという文化があります。
朝5時30分、ホテルの近くのお寺から、リンを鳴らす音とお経が聞こえてきます。
急いで下へ降りると、15人ほどのお坊さんが托鉢へ出発するお経を唱えていました。
どのお坊さんも若く、おそらく10才に満たない年齢から、大きくても10代後半でしょう。
この時は12月、ラオスでもかなり寒い時期です。
そこで裸足で歩くのですから、かなり厳しい修行です。
お店や家を廻って少しずつ食事を頂き、その都度感謝のお経を唱えていました。
若いお坊さんから「タイ人ですか?」と聞かれたので、「日本人です」と答えると、にっこり笑ってくれました。
朝からお坊さんの托鉢について行くって、とても清々しい気持ちになれます。
ラオスは蘭の宝庫
蘭ファーム「Vientiane Orchiees」
ラオスにはまだまだ手付かずの自然が残されていて、その保護を目的とした自然公園が20ヶ所も管理されているのです。
その自然公園で専門家に注目されているのが、新種の蘭が発見され続けていること。
蘭は世界で15,000種以上もあり、そのうちの900種がラオスで発見されているのです。日本では約250種ですからかなりの数。
ラオスは蘭ファンの間では蘭の宝庫とまで言われているのです。
この自然公園の蘭を楽しめる施設がヴィエンチャン中心部にあるのです。
ここVientiane Orchiees(蘭研究所・蘭ファーム)は、国立の自然公園に生息する蘭を持ち込み、ラオス国立大学とフランスの専門家が共同で運営しています。
たくさんの蘭を鑑賞できるのは4月から7月、その中でも5月、6月が最盛期と言われています。
蘭は厚みがあって形もかわいく、存在感と高級感もあり、日本でもとても重宝されいます。
興味があれば是非、ラオスの蘭を見てみるといいでしょう。
住宅街の中にあるので通り過ぎないようご注意下さい。
また、いつも開いているわけではありませんので、開園時間などはご確認の上で訪問した方がいいでしょう。
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機織り体験
ラオスの織物文化の伝統を残し、世界の人々に知ってもらうことを目的とし、1998年に設立されたホワイアン職業訓練センター(Houey Hong Vocational Training Centre for Women)。
ヴィエンチャンの中心ナンプ広場を北に約6.5km進んだ場所にあります。
センターは穏やかな農村のような場所にあって、リフレッシュできます。
天然の染料を使う作業場や、機織り工房が稼働していてタイムスリップしたかのような空間です。
実際に織った作品の販売もしています。
ラオスの伝統衣装だけでなく、スカーフ、バッグ、小物、男性向けにネクタイなどもありました。
どれもとても品のある色とデザインです。
そしてここでは、伝統的な作業の体験がとても人気です。
特に女性は一度はやってみたい機織り、ここでゆっくりと一日を過ごす方もいるそうです。
お値段は、草木染め染色体験でスカーフ1枚で100,000Kip(約1,200円)
昼食付きの織物体験が250,000kip(約3,000円)。
暖かい自然の中で、ラオスの伝統的な文化を体験できるなんて素敵です。
実際にここで10年以上働いている女性にお話しを聞いてみました。
現在は機織り機13台に対して22人の職人が働いていて、中には男性もいるそうです。
一つの作品を完成させるのに約3週間。一本一本の糸を通して、ガタン、また糸を通して、ガタン。と、気の遠くなるような作業の末に、あんな美しい織物が完成するんですね。
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英雄“アヌウォン王像”「King Anouvong Statue」
アヌウォンはビエンチャン王国最後の王様であり、ラオスの英雄です。
正式な名はセーターティラート三世ですが、アヌウォン王やアヌ王と一般的に呼ばれています。
ラオスの前進ラーンサーン王国がタイの属国であった19世紀、タイをビルマの侵攻から守り、その功績が評価され王位につきました。
その後、タイの属国からの独立を目指したが失敗に終わり、タイのバンコクで没しましたが、ビエンチャンの黄金期を牽引し、独立のために闘った英雄として崇められているのです。
アヌウォン王像はメコン川沿いのナイトマーケットが出るあたりに、そびえたっています。
かなりの大きさなので、車で走っていても直ぐに分かるでしょう。
右手を突き出しているのは、友好的に握手を求めているようにも見えるのですが、そうではありません。
かつて支配されていたタイに向かってメコン川にある国境を指し「そこからはラオスの領土だ」と宣言している姿なのです。
まさに「独立のために戦った英雄」としての勇ましい姿です。
アヌウォン王像の後ろは広い公園になっていて、池や噴水もあり、整えられた芝生の木陰でくつろぐ人々の姿も見られます。
散歩やランニングコースとしても人気があります。
見るのに時間はかかりませんので、中心部を通りかかった時にでも、この迫力ある英雄の王像を眺めてくるといいかと思います。
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ヴィエンチャン シティ・ピラー神社
ラオスには珍しい“お寺”でなく“神社”
ラオスの首都ヴィエンチャンに「Vientiane City Pillar Shrin」という直訳すると「ヴィエンチャン市の柱の神社」があります。
ラオスでは殆どの宗教施設がラオス語のWat(寺)もしくはTemple(寺)ですが、Shrin(神社)というのはとても珍しい表現です。
ここは2012年に完成した新しい建物で、ヨーロッパのお城のような尖塔と、濃い緑色の屋根が特徴的で、神社と言っても、日本のように鳥居や参道があるわけではありません。
この宗教施設がお寺ではなく、なぜ神社なのか。
それは神社というのは、山、川、木、岩、など、神が宿りその土地を護ってくれる自然物を祀るのですが、ここでも仏様をご本尊として祀っているのではなく、“石柱”を祀っているからなのです。
地中から発掘された数々の石柱
この神社で祀っている石柱というのは、この村の家々の守り神でした。
ラオスは後発途上国とは言え、近年の首都ヴィエンチャンの発展は目覚ましく、道路の拡張工事がいたるところで進められています。
この村もたくさんの道路工事で地面を掘り起こしたのですが、その時に次々に大きな石の柱が出てきました。その数は何と473基。
その当時の発掘の様子は展示されている写真で確認することができます。
地中の奥底から出てくる幾つもの石柱。多くは1mほどで日本の墓石と同じようなサイズです。
そして中には縄文土器のような模様が彫られているものもありました。
それらを専門家の立ち合いの元に掘り出し、たくさんの僧侶が供養をしている姿が映っていました。
日本の神道にも道祖神(どうそしん)という、道に祀られ、村を守ってくれる石像がありますが、意味合いも姿もこの道祖神に近いのでしょう。
この国も仏教が広がる以前は、自然物を崇拝の対象として手を合わせていたのです。
現在それらの石柱はこの建物の壁の中に積まれていて、参拝者はガラス越しから見ることができるようになっていました。
そして、この石柱を一つのまとめたのが、現在この建物中央に建てられた金色の柱。
過度な装飾や彫刻が殆どなく、とてもシンプルな姿が自然物を表していることを感じました。
石柱を祀る風習と不思議な銅鑼
ここに3年務めているというスタッフの女性にお話しを聞いてみました。
「昔は一軒の家につき、一つの石を祀る風習がありました。石を置くことによって、家を守り、魔よけになり、幸運を招くとされていたのです。今はそうした風習はなくなり、家を建てる時にその土地を僧侶に拝んでもらうというように形が変わってきています。」
と、日本だったら家を建てる時に神主さんにお願いする“上棟式”や“建前”のような儀式があることを教えてくれました。
そして、女性スタッフが「これはとても珍しいものですよ」と、大きな銅鑼を、かぼちゃサイズのバチで軽くたたいてくれました。
「ゴーン」という音は普通だったのですが、その後が驚きです。
叩いた後に中央の円を両手で軽く、子供の頭をなでるようにさするのです。
すると「ゴオオオン ゴオオン ワンワン ワンワン・・」という鐘の響きが両手でさすっている間中、建物全体に延々と鳴り響くのです。
音を手で奏でて、四方八方から延々と聞こえるなんてとても不思議な感覚でした。
ワット・ミーサイ
本堂の中は、煌びやかな仏様と仏画に埋め尽くされた宝石箱のような美しさ。
旧正月を前にお坊さんたちもワクワク、普段は見せないご機嫌な姿でした。
オレンジ色の本堂と壁一面の仏画
ラオスの首都ヴィエンチャンを東西に横切るセーターティラート通り沿いに、ワット・ミーサイというお寺があります。
16世紀後半、ラオスの前進であるラーンサーン王国だった時代。通りの名前にもなっているセーターティラート王は、首都をルアンパパーンから現在のヴィエンチャンに移しました。
そして王はラオスの紙幣にもなっているタート・ルアンを筆頭に、幾つもの寺院を建立させました。
その中の一つがここ、ワット・ミーサイです。
本堂の屋根はラオスの伝統的な造りなのですが、幾つもの太い柱のオレンジ色は、他では見たことないほどの鮮やかさです。
そして本堂の床から天井までを埋め尽くす仏画の数々。お釈迦様が瞑想する姿や布教する様子を伝えています。
中にはエメラルド仏がひざまづいてお釈迦様にお願いごとをしているようなマンガのような絵もありました。
どれも親しみやすい表現で分かりやすく描かれているのです。
色鮮やかな壁画に囲まれ、煌びやかな幾つもの仏像と仏具、美しい調度品も多く、本堂の中は宝石箱のような空間でした。
そしてご本尊の特徴的なお顔に微笑んでしまいます。東南アジアの仏像は笑ったような目をしていることはよくありますが、ここまで目が離れていて、たれ目の仏様は初めて見ました。
特大の釣り鐘と撞木
宿坊の脇にぶら下がっている特大の釣り鐘は、高さは2m以上、太さは両手でも抱えきれないほどです。
そして釣り鐘を“ゴーン”と鳴らす時は、日本だったら初詣でやるように、上からぶら下がっている撞木(しゅもく)と言う棒に更にロープが垂れていて、それを両手で振って鳴らすのが一般的でしょう。
ところがこのお寺では、長く太い撞木を、お坊さんの腕力だけで持ち上げて、この特大の鐘を鳴らすというのですから、これは大変な仕事です。
近くにいたお坊さんに聞いたら「毎朝4時に起床の合図として一回だけ鳴らします」とのことでした。
旧正月が楽しみなお坊さんたち
境内の奥で若いお坊さんたちが掃除をしています。私に気付くと「トウキョ!コンチハ!サヨナラ!」と、とてもご機嫌です。
ラジオで大きな音で陽気な音楽を流していて、おしゃべりと笑い声が絶えません。楽しくて仕方ない様子です。
「皆さん、楽しそうですね。何かいいことありましたか?」
「・・・来月の旧正月、ピーマイラオが近づいてますからね。皆でその話をしていました。ラオスの人々にとっては一年で一番楽しい行事なんです。水かけ祭りとも言われ、誰かれ構わずバケツや水鉄砲で水をかけ合って、旧年中の悪い出来事を洗い流すのです。国中が大盛り上がりするんですよ。」
日本でも年末年始は友達や親戚と会う機会が増えて、楽しい気持ちになります。
ここのお坊さんたちも同じで気持ちがワクワクしているのです。
ただ残念なことに、この日は新型コロナウィルスの感染拡大がここにも迫っていました。
この日までにラオスで感染が確認された人はまだゼロでしたが、翌々日からは全ての学校は休校、空港には医師と看護師が待機。
そして誰もが楽しみにしていたピーマイラオも中止となってしまったのです。残念ですが来年は今年の分も楽しめるように祈っています。
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ワット・オントゥ
ヴィエンチャン最大の青銅仏
ラオスがまだ前身のラーンサーン王朝だった16世紀後半、当時のセーターティラート王は首都をルアンパバーンから現在のヴィエンチャンに移しました。
そして都城の体制を整えるため、エメラルド仏を安置するワット・プラケオや、ラオスの国章にもなっているタート・ルアンなどの寺院を次々と建立したのです。
そのうちの一つがヴィエンチャン最大の青銅仏が祀られているワット・オントゥです。
このお寺は 1828年にシャム王国(現在のタイ)の侵入によって崩壊され、現在の姿は19世紀に再建されたものです。
本堂の中で目を引くのはこの高僧の像です。ラオスやタイのお寺ではこうして高僧や創設者の像を祀るのですが、ここまでリアルに作られている像は珍しいです。
高僧のしわや筋肉の筋までが細かく刻まれていて、今にもお説法をするのではないかと思うほど、生き写しのように作られているのです。
植栽の上で鎮座しているのは、満面の笑みに垂れ下がった福耳、でっぷりとした大きなお腹が日本でのお馴染みの布袋様。
唐の時代の中国の禅僧を神格化したものです。
「泣いて暮らすも一生。笑って暮らすも一生。同じ一生なら笑って暮らせ」と、この布袋和尚の人柄は世界中の人々から愛されています。
商売繁盛にも功徳がありますが、何と言ってもこの笑顔で邪な心を追い払い、人々を楽しく幸せな気持ちにしてくれるのです。
お坊さんたちのお昼ごはん
ちょうどお昼時でホールではたくさんのお坊さんが食事をしていました。
料理を作っているのはご近所の女性。
「毎日だいたい30人分のお昼ごはんをお寺の調理場で作ってます。食材はご近所の方々が持ち寄ってるんですよ。たくさんの信者がいますからね」と、教えてくれました。
ちょっと見させていただくと品数豊富なおいしそうなお昼ご飯です。
若いお坊さんたちに話を聞いてみました。
今日のお昼ごはんは何ですか?
「今日は、焼き魚、もち米、パパイヤサラダ、鶏と大根の煮物、キノコのスープ、デザートはマンゴーです。毎日こんなにたくさん作ってくれるのでとてもありがたいです。私たちは朝とお昼は食べますが、修行中なので夜ご飯はありません。だからお昼にしっかりと食べておくのです」
朝は何を食べたのですか?
「朝は托鉢ですよ。毎朝5時に出かけて、ご近所の家やお店から食材をいただいて、6時過ぎにお寺に戻って食べるのです。」
毎朝5時からの托鉢
托鉢とは僧侶が鉢を持って市中を歩き、人々から食物や金銭をいただくことで、乞食(こつじき)とも言われます。
日本では殆ど見かけることはありませんが、ラオスでは風物詩と言えるほど毎朝あちこちで見かける光景なのです。
これは早朝5時。お寺の鐘の音と共に、何人もの僧侶がぞろぞろと歩きだします。
ラオスでも早朝はかなり肌寒い時間、そこを裸足で 1時間も歩くのですからかなり厳しい修行です。
そして途中で家やお店の前で足を止めてお経を称えます。するとこの時間であっても敬虔な仏教徒であるラオスの方々は外に出てきて、お経をありがたくいただき、お礼にお米やおかず、またはお金を鉢に入れてくれるのです。
ちょっと朝は早いですが、これはラオスに行ったら是非見ていただきたい光景です。
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ワット・チャン
メコン川とナイトマーケット
ラオスの首都ヴィエンチャンのメコン川沿いのファーグム通り。
この通りはホテルや飲食店がとても多く、人々の活気にあふれるエリアです。
交通量も多いこの道路沿いに、きれいに整えられた生垣から、何頭もの象のモニュメントが顔を出しているのが見えることでしょう。
一見、動物園の入口のようでもありますが、ここがヴィエンチャンで最も古い寺院の一つ、ワット・チャンです。
ワット・チャンは、とにかくロケーションの良いのお寺です。
「このお寺は何で有名ですか?」と聞けば、殆どの人が「メコン川の前のお寺」「ナイトマーケットの直ぐ近く」と答えてくれることでしょう。
ラオスにもいくつかのナイトマーケットがありますが、最も広く有名なのがここ。
衣類や工芸品、ラオス土産で売ってないものはないというくらい何でもそろっていて、ブラブラ歩いて見ていれば1~2時間はあっという間。
ヴィエンチャンに行ったら必ず行ってほしい場所の一つです。
そしてワット・チャンの目の前の土手から拡がるメコン川。
この川は、中国、タイ、カンボジア、ベトナム、そしてラオスを流れる、世界で10番目、東南アジアでは一番長い大河です。
これらの国々は「メコン地域」とも呼ばれるほど、東南アジアの代名詞ともなってる大河なのです。
いちばんきれいなのは夕方。人々はメコン川のほとりに集まり、夕日を眺めながら、おしゃべりを楽しみ一日を終えるのです。
ナーガ上の仏陀座像
ワット・チャンの境内には、本堂、宿舎、そして3階建ての太鼓やぐらがあります。
そして、やぐらの前に鎮座している大きな仏像は「ナーガ上の仏陀」。
その昔、 菩提樹の下で瞑想を続ける仏陀に、暴風雨が襲いかかりました。
その時、インドにおける蛇神の一人、ムチャリンダ竜王は、自らの体を七重にして台座となり、七つの頭を笠にして仏陀を守ったのです。
この尊い姿の造形は、東洋美術や文化遺産として各国の博物館などでも展示されているのです。
本堂は常に開放されているのではなく、午後は15時に開放されます。
それほど広い本堂ではありませんが、金色に輝くご本尊、その手前にはエメラルド仏があり、ラオスの伝統的な祀り方をしていました。
地方から出てきた二人の若い修行僧
本堂のカギを開けて案内してくれたのは二人の若いお坊さん。いつも一緒にいるようでとても仲がよさそうです。
このお寺には何年務めてるのですか?お年は?
私たちは二人とも19才です。このお寺で修業するようになりまだ一年です。学ぶことばかりでとても充実した生活を送ってます。朝は4時に起きて、6時に朝食、昼食は11時で、夜は食べません。その他の時間は、お寺の作務や托鉢、それと一日3~4時間は勉強の時間に充てています。この生活をあと4~5年続けて、そして故郷に帰って、地元のお寺に務めるつもりです。
ヴィエンチャンの出身ではないのですね。どうして地方からこのお寺に修行に来たのですか?
仏教を学びたいと思ったのはもちろんですけど、そんな理由でもないと都会に出てこれなかったんですよ。
と、ちょっと本音も話してくれました。どこの国の若者も都会は憧れなんですね。
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